家庭教師 祐巳ちゃんの場合

「祐巳ちゃん、今日から家庭教師の先生に来てもらうから。」


「へっ?」


それはお母さんの何気ない一言から始まった。


「ほら、祐巳ちゃん成績がいつも真ん中でしょ。これじゃ大学の優先入学から漏れてしまうもの。」


「え〜……。」


「だって、リリアンでここまでずっと来たのに、大学でリリアンに行けなかったらみっともないじゃないの!」


親のメンツというものであろうか、お母さんは有無を言わせぬ口調で私にに命令する。


(お母さんだって、そんなに優等生だったわけでもないのに……。)


私は反論を試みようかと思ったのだが、それもやめることにした。


どうせ反論しても、勝てやしないし、それに互いの傷を刺激し合うのは眼に見えていた。


互いが、互いの平均点の性格を攻撃するだけで、一切益のない口ゲンカ。


そんな事をして両者欝になるくらいなら、しぶしぶでも従って、勉強でもしたほうがいい。


それに、私が勉強して平均点を脱出すれば、平均点の両親を見返すことができるのだから。


「ほら、そんな不本意な顔しないで、………、ほら、いらっしゃったわよ。失礼の無いようにお出迎えして。」


「は〜い……。」


玄関から呼び鈴が鳴る音が聞こえてくる。


私はお母さんに小言の一つでも言い残したかったが、来客を待たすわけにもいかない。


小走りで玄関へ向かっていった。


(どんな人が来るのかな? 素敵な人だといいなぁ……、祥子さまみたいな。)


頭の中に想像が駆け巡る。


(しっかりと勉強しなさい、祐巳)
(そこは、そうじゃなくてよ)
(そう、よくできたわね、祐巳)


幸せな想像に浸っているうちに、いつの間にか玄関まで着いてしまった。


こういう時に祥子さまのおウチなら、玄関まで遠くて幸せなのかなぁ……。

 

 

 

「いらっしゃいませ、ごきげんよ……う!」

 


残念なことに玄関にたどり着いた私は、勢いよくドアを開けると、そこには、


「は〜い、祐巳ちゃーん、お久しぶりぃ。う〜ん、この変わらない抱き心地。このプニプニ感がたまらんのぉ。」


佐藤聖さまが立っていたのでありました。


「むぎゅぅ!」


ドアが開き、私がドアを開けたのを確認するや否や、抱きついてくる聖さま。


思わぬ奇襲の前に、私は聖さまの両腕と胸に包まれるように、抱き込まれてしまっていた。


「なーに? にやけちゃって? 私が家庭教師してあげることが、そんなに嬉しい?」


(いけない! 祥子さまとの想像したままの顔で、玄関出ちゃった……。恥ずかしぃ。)


そんな私の考えも知らず、幸せそうに腕に力を込め祐巳を抱きしめる聖さま。

私の顔は聖さまのふくよかな胸に埋もれていく。


(聖さま、高等部時代よりも大きくなってるよ………)


こんな時に感じるコンプレックスが私には悲しかった。

 

 

 

自分の胸がどーたらこーたら、不満に思っていると、急に聖さまは抱きつく手を解き、私の肩に手を当てると、くるりとまわすように私を反転させ、室内へ向ける。


「お母様、本日より祐巳さんの家庭教師を務めさせていただく、リリアン女子大1年、佐藤と申します。」


(さすが聖さま、そつがない。)


実の家族である私ですら気付かなかった母親の足音を敏感に察知するや、一転猫かぶりモード。


まるで、清楚で真面目なリリアンOGを演じるかのように、私のお母さんに丁寧に挨拶を述べている。


「まあまあ! ひょっとして、あの白薔薇様! これはこれは、祐巳がお世話になっております。」


「いえ、こちらこそ、高校生活は祐巳さんのおかげで、とても素晴らしい日々を過ごさせていただきました。」


お母さんがこれでもかというほどに深々と礼をするのに合わせ、聖さまも深々と頭を下げている。


こういう時の聖さまを見ると、


(いったいどっちが本当の聖さまなのだろう?)


そんな感覚に襲われることがしばしばある。


聖の在学中は、つくづく不真面目な人だと思っていたのだが、それでも所々見せる淑女然とした振る舞い。


そんなギャップに、思わずウットリしてしまう自分に嫌気がさす。

 

 

 

玄関での、ちょっとした世間話を続けるお母さんと元白薔薇さま。


それもいつしか終わると、


「では、お母様。祐巳さんをお預かりします。さっ、祐巳ちゃんの勉強部屋に案内して。」


世間話には参加できずに立ち尽くしていた私の片手を握ると、そのままに階段を登っていくのでした。

 

 

 


「う〜んと、祐巳ちゃんの部屋は?」


2Fに登ると、聖さまは私の部屋はどれかを聞いてくる。


私の家の2Fには私だけじゃく、祐麒の部屋もあるので迷うのだろう。


「あちらです。」


私は自分の部屋を指差す。


「じゃあ、あっちは祐麒くんの部屋かな?」


聖さまはもう一つのドアを指差すと、私に確認を求めてくる。


「はい、そうです。まだ学校から帰ってないみたいですけど……。」


なんだろう、聖さまが私の部屋よりも、祐麒の部屋に興味を示したみたいで、ちょっと嫉妬心がうずまいてしまった。


いけない、いけない。


私は祥子さま、一筋なんだから。

 

 

 

”ぷにっ”


聖さまの人指指が私のほおを突付くと、私の口から空気が漏れた。


「祐巳ちゃん、嫉妬してたでしょ? フグみたいに口膨らましてかわいいんだからぁ。」


「………。百面相……してましたか?」


「うん、フグ顔は始めてみたけど可愛かった。カメラちゃんいないのが残念だわ。」


なんだろう、フグ顔呼ばわりされて悲しいんだけど、ちょっと嬉しい気持ちも生まれてくる。


私、変態さんかも。


「安心して、祐巳ちゃん。私は祐麒くんよりも、祐巳ちゃんが好きなんだから。」


こういうセリフを照れもなく言える元白薔薇さまにかなうわけもない。


私はとりあえず、自室へ逃げるように入っていった。


そんなセリフを言われると、どんな百面相が浮かんでいるのか、自分でも不安だったから。

 

 

 

「う〜ん……、祐巳ちゃんの匂いぃぃ……。」


私に付いて、部屋に入るやいなや、聖さまは私のベッドにダイビングをすると、枕の匂いを嗅いでいる。


「いいかほりだなぁ・・・。」


枕に顔を埋もれさせて喋る聖さまの発言は、少々間が抜けていた。


「あっ、祐巳ちゃんの髪の毛だ、採集、採集。」


聖さまは枕から顔を離すと、まくらに付いていた私の抜け毛を丁寧につまみあげ、ポケットからティッシュを取り出すと、慎重に包み込み、カバンにしまいこむ。


「ほらっ、聖さま、私に勉強教えてくれるんじゃなかったんですか!」


さすがに、自分のベッドが荒らされていくのを見ると、自分が汚されているような感覚が襲ってくる。

ちょっと強めに聖さまに非難を浴びせたのだったが、


「うん……、そのつもりだけど、ちょっと待ってね。え〜っと……。」


全く効果なし。


聖さまは今度は枕ではなく、上布団をどけると、シーツを入念にチェックし始めた。


「何……、なさってるんですか?」


いったい何をしてるんだろう? 変なシミとか……探してるんじゃないよね……。


「あのね……、無いの。」


聖さまはシーツから視線を変えないまま、私の質問に答えてくれる。


「何が……ですか?」


シミとか、付いてるわけないじゃないですか!


そう怒鳴りたかったが、なんとか理性がそれを留めた。


もしそんなコト言ったら、逆に、


(え〜、何のシミかなぁ? わかんな〜い。)


とかセクハラされるに決まっている。


「えっと……毛。」


聖さまが探し物を教えてくれたが、よく意味がわからない。


そんな顔をしていた私に気付いたのだろうか、聖さまはようやく顔を上げ、こちらを向くと、


「強いていうなら……、ちじれた毛なんだけど……無いんだよなぁ……。」


真顔でそんな答えを返してくれました。


ギャグマンガのように、思わずイスからずり落ちてしまう私。


なんと切り替えしたらいいんだろうか……、困っていると、追撃が、


「! ひょっとして祐巳ちゃん! 生えてないの?」


私は、もう、なにも言う気力もなくなると、その場にへたりこみ赤面するのみでした。


たぶん、百面相で、真相がバレてしまったかと思うと……大ショックです。

 

 

 

「まあ、それはそれとして、勉強しよー!」


さすがに、私がちょっと落ち込んだように見えたのだろう。


聖さまは、ベッドから身を起こすと、私を優しくイスに座らせるようエスコートしてくれ、机の上の教科書を適当に取り出す。


「う〜んと、じゃこれでもやっといてね。」


聖さまは、テキストから1問を選び出すと、それを私の前に広げる。


「簡単な三角関数だから、5分もあればできるよ。がんばってね。」


そういうと聖さまは私の部屋から出て行った。


トイレにでも行ったのだろうか?

 

 

 

聖さまがいなくなって、邪魔者がいなくなったと言うのは言いすぎだろうが、私は目の前の問題に集中していた。


(さいん、こさいん、たんじぇんと)


頭の中で必死に正弦、余弦、正接を意味する単語を繰り返し、問題を進めていく。


(むずかしぃ……こんなの五分でできないよ……、あぁ見えて聖さまは、頭いいんだった……。)


つくづく聖さまとの頭の出来の違いを実感しながら、問題に臨んでいると、5分したのであろうか、聖さまは私の部屋に、なにかを隠すようにしながら戻ってきた。

 

 

 

「じゃ〜〜ん!」


目の前に三角関数が飛び交う私が驚くほどの大声で聖さまは、背中に隠していたあるものを取り出した。


聖さまは”前にならえ”をするように腕を伸ばし、その隠していたものを私に見せ付ける。


「な! なんですか コレ!」


そう、聖さまが持ってきたのは、女性の裸体が載っている写真集というのか……ぶっちゃけエロ本というのか、そんなものであったのだ。


「祐麒くんの部屋から、パクってきた。ベッドの下に置くだけとは、案外芸のない子だのぉ。」


「え……え?」


祐麒も年頃の男の子だし、そういうの持っててもおかしくはないんだろうけど……。


やっぱり身内のそういうことは恥ずかしい……。


それでも、興味は津々で、その本から眼を離せない自分も恥ずかしい……。


「さ、さ。祐巳ちゃん! 弟ちゃんの性癖でも探ろー!」


そういうと聖さまは机の上に、数学のテキストの上から、その本を置き、ページをめくっていく。


うわぁ、祐麒……、こんなのが趣味だったんだ……。


お姉ちゃんは少々、心中複雑な気持ちになってしまうよっ!

 

 

 

しばらく無言でそのエロ本を眺めていたが、沈黙に耐えかねたか、聖さまが、


「これでも一番おとなしそうなエロ本持ってきたんだけどなぁ……。ほら、祐巳ちゃん顔真っ赤だよ。」


そう言うと、聖さまはその白い手のひらを私の頬に当ててくれた。


聖さまの手は冷たく気持ちよかった。


そう感じるほど、自分が紅潮していることに気付いた私は、一向に熱が下がらなかったが。


「…って! 祐麒はまだ他にも持ってたんですか? あの変態タヌキめ!」


変態タヌキ。口から勢い任せに飛び出した単語であったが、ひょっとするとそれは私も当てはまるのかもしれない。


「うん、え〜っとね。一番多かったジャンルは近親相○の本かな。それを持ってくると祐巳ちゃんには、刺激が強すぎると思って……。」


聖さまは、とりあえずフォローしてくれているようだが、それは私の耳に届かなかった。


なんというか気分が真っ暗になり、全ての音のない世界へ落とされたような気分。


お父さん、お母さん。この家にはケモノがいます……。


たぶん、そのケモノは私を狙っています……。


……どうしよう……………。

 

 

 

後日、私の期末テストが返却された。


福沢祐巳、0点

 

 

 

だって、勉強どころじゃなかったんです。
本当です。
信じてください、お母さん。

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